現代では当たり前に視聴、あるいは制作し、とても身近なものになっている動画という媒体ですが、その始まりは何時の時代で、また当時はどのような映像だったのでしょうか。ここでは、YouTubeに投稿されている動画を交えてその歴史の流れを追っていきます。
YouTubeで見る初期の時代の動画
1831年、現代の動画の原点とも言える「フェナキストスコープ」が、ベルギーのジョゼフ・プラトー、オーストリアのサイモン・ヴォン・スタンファーによって発明されました。YouTube上にはフェナキストスコープを利用した動画もたくさん投稿されています。
フェナキストスコープの再現映像「おどろき盤 iMovie 」
そしてその数年後にフェナキストスコープに触発されたイギリスの数学者ウィリアム・ジョージ・ホーナーが「ゾエトロープ」を発明します。以下の動画でその動きが見られますが、けっこう違和感なくアニメーションしているように見えます。
覗き見する動画「ゾエトロープ(回転のぞき絵)」
1877年にはフランスの発明家エミール・レイノーが以下の動画のような「プラキシノスコープ」を発明し、また1889年にはより長い映像をスクリーンに映し出せる投射式のプラキシノスコープも開発しています。
プラキシノスコープの動画
1891年にアメリカの発明家トーマス・エジソンによって特許が取得された「キネトスコープ」。それをさらにスクリーンへの映像投影を可能にしたのが、フランスの発明家であるリュミエール兄弟の「シネマトグラフ」でした。
“動画メディア”の原型「キネトスコープ」の動画
この時点ではまだモノクロでしたが、かなり現代の動画に近くなった印象ですね。これらキネトスコープ、シネマトグラフの発明により、これ以降は静止画像ではなく動画像として記録・再生ができるようになり、一気に表現の幅が広がっていきました。
日本における”動画”の誕生
1900年代になると「テレビ」が発明され、動画像は次第に一般家庭にも普及していきます。技術の進歩も加速し、映像表現はモノクロからカラーへ。秒間のコマ数(フレームレート、またはfps)も向上していき、より滑らかな動きが表現できるようになっていきました。
また同時に「アニメーション」も一般に浸透していくこととなります。テレビの普及とともに様々な国でアニメーションが製作され、日本でも1917年に国産では初となるアニメ『芋川椋三玄関番の巻』『なまくら刀』が公開されました。
その後も数々の日本アニメーションが制作されていくなかで、映像作家である政岡憲三氏がアニメーションの訳語として「動画」という単語を考案。これが日本語における”動画”の始まりであったとされています。
現代日本においては”動画”はかなり広い意味で使われるようになり、またインターネットと動画がコラボし「動画サイト」なども誕生、動画がよりアクティブで身近な媒体となっています。