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2015.6.11

世界が熱狂!?動画の発明から始まった映画の歴史

film

映画館で迫力ある映像と音響を楽しみつつ、あるいはDVDをレンタルし自宅で気軽に鑑賞したり、有料サイトでストリーミング配信の映画を視聴するなど、現代では手軽に様々なスタイルで映画を楽しめるようになりました。

 

もともと、映画とは大衆にとってどのような存在だったのでしょうか。現在に至るまでの映画の歴史を振り返ってみましょう。

世界初の映写機と世界初の映画とは?

19世紀、カメラ技術が発達し既に”写真”が世に生まれ出ていた頃、それをさらに運動の記録と再生に応用できないかと、多くの技術者や発明家によって研究が進められていました。それらの研究の積み重ねの結果、アメリカの発明家トーマス・エジソンが「キネトスコープ」と呼ばれる映写機を開発し、1893年に一般へ公開します。

 

ただしこれは、箱を覗き込んで動画を鑑賞するというものでした。その再現動画がyoutubeにも投稿されています。

箱を覗いて動画を鑑賞!エジソンが発明した「キネトスコープ」

このキネトスコープ公開後の1895年、一度に多くの人々が同時に同じ動画を鑑賞できるタイプのものが開発・公開されました。フランスのリュミエール兄弟が発明した「シネマトグラフ」です。この映写機は現在のカメラや映写機と基本的に機構がほぼ同じであるとされています。

現代の映写機の原型!リュミエール兄弟の「シネマトグラフ」

その後、このシネマトグラフを用いて様々な映画が公開されましたが、この当時はまだ、日常のあるワンシーンを切り取ったような簡単な筋書きの動画ばかりでした。しかし1902年、世界で初めて、複数のシーンで構成され物語として楽しめる映画がフランスで制作されました。

 

それは、元マジシャンであったジョルジュ・メリエスが監督を務めた「月世界旅行」というタイトルのSF映画でした。現在ではそのカラー復刻版も存在しているようですね。

世界初のSF映画「月世界旅行」のカラー復刻版予告編

世界の主要都市を中心に映画熱が加速

1910年代にアメリカの映画都市「ハリウッド」が誕生、1920年代にはソ連で世界初の国立映画学校が創設されるなど、徐々に映画制作のための基盤が形成されていきます。

 

1930年代以降は、イタリアで「ヴェネツィア国際映画祭」、フランスで「カンヌ国際映画祭」、ドイツで「ベルリン国際映画祭」、そして日本では「東京国際映画祭」が開幕。それぞれ現在にまでその歴史を紡いでいます。

 

ちなみに1951年、日本の巨匠・黒澤明さんが監督を務めた「羅生門」がベルリン国際映画祭にてグランプリを受賞しています。日本においても映画熱は加速しており、実に多種多様な映画が制作・公開され、1990年代には複数のスクリーンを運用する映画館「シネマコンプレックス」が定着。

 

現在では映画館だけでなくインターネットを経由しての映画視聴、DVDでの映画鑑賞も当たり前の時代となりました。youtubeでも、以下のような有料配信を利用し手軽に映画を視聴できるようになっています。

「STAND BY ME ドラえもん」予告編

今も昔も変わらず、映画は大衆に幅広く受け入れられています。映画鑑賞を楽しむ人々にとって、映画というものは気軽に別世界を体験できる最高の娯楽と言えるのかも知れませんね。